[前回の記事]
・羊と羊肉の歴史1・日本渡来編その1
前回は家畜としての羊はどこで生まれて、いつ日本に来たかをまとめました、今回も日本での飼育などを含めた、羊飼育前史時代の話をまとめております。調べて行って思うのが、もともと日本にいない家畜だから食べ方とか和食の代表的な食べ方がないんだなとしみじみ思っている次第です。
■日本で始まる羊飼育。毛織物生産の黎明と挫折
飼育の始まった記録を見ると、1805年長崎奉行の成瀬因幡守が肥前国浦上村(長崎県西海市付近)へ羊を輸入し飼育を試みますが、失敗。同時期、幕府の奥詰医師であった本草学者の渋江長伯が巣鴨薬草園に中国から羊を輸入、繁殖させ数百匹まで増やしましたが大火により衰退してしまいます。
残った羊は1857年、函館奉行所に送りました。送った頭数は10匹。米国の貿易事務官ライスが飼育方法のアドバイスをしていたようです。羊と言えば日本だと「北海道」ですが、北海道の羊のはじまりはこの巣鴨の羊たちです。つまり北海道の羊の始まりは中国原産で江戸育ちの羊たちだったと考えられています。
ちなみに羊毛から羅紗織の試作なども行っていたので、この巣鴨薬園は「綿羊屋敷」とも呼ばれており、日本の羊毛産業の発祥は巣鴨ということになります。長崎の飼育も毛織物を作ることが目的だったそうで、まだ「食べてみよう」までには至らず、衣類の原料としての羊でして、この衣類の原料としての羊はその後しばらく続くこととなります。
■羊を知らなかった日本人
▲国立国会図書館HP(https://www.ndl.go.jp/)より。十二類絵巻。龍の下に居るのは羊のはずが、つのや髭など非常にやぎっぽい。
ちょっと脱線ですが、明治以前の日本人の羊に対する認識についてまとめてみました。
昔の日本に羊はいません。しかし、みんなが知っていた家畜でした。それはなぜかと言うと「干支」に含まれていたからです。見たことはないけど、みんなが知っていますし、中国の物語などでもよく出てくる。羊は概念としてみんな知っている生き物でした。知ってるけど、見たことがない。龍などに近かったのかもしれません。
干支などで知名度はあるので、絵など書く場合がある。しかし姿形がわからない。そこで、「ヤギに似ている」と言う中国の書物の記載に従い、絵などで羊を描く場合、山羊を書く事が多かったのです。羊は「知っているけど視覚体験がない」生き物だったのです。
室町時代の「十二類絵巻」に描かれている羊はどう見ても山羊ですし、安土桃山時代に書かれた南蛮屏風にも、象や虎などにまじり描かかれているのもどう見ても山羊です。この状況は江戸時代に入ってからも続き、和漢三才図会にも「羊」の項目はあり「按ずるに華より来り。之を牧ども未だに畜息せず(羊は中国より来て、飼おうとしたけど家畜化できなかった)」と、山羊とは別物との認識はあったようですが、しかし、このイラストはどう見ても山羊なのです。(そして、この項目、日本で羊が飼われていなかった証拠でも有るのです)。たまに、象やラクダなどと一緒に見世物として羊が居たとの記録がありますが、羊は明治に入るまで「知っているけど形がわからない生き物の立場」を取り続けます。今考えると不思議ですが、写真がなく海外との間のやり取りも限定的である時代はこれが当たり前なのかもしれません。
次回は、時代は明治に移り、羊が国策や富国強兵の文脈にのり始めた時代をまとめていきます。ご期待ください。
■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表
提供:東洋肉店(URL:http://www.29notoyo.co.jp/)
※参考資料など
国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP、また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン:捏造と熱望の日本食」、ジンギスカン応援隊、綿羊会館が以前に出し担当者さんからいただいた資料、Wikipediaの羊の項目、探検コムさん、近代食文化研究会さんなどを参考にしています。その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。
また、東洋肉店さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どこかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人が素人向けにまとめさせてもらいました。いろいろなお店の方との羊の雑談などもベースになっております。皆様ありがとうございました!
この記事を書いた人
ラムバサダー 菊池 一弘
羊肉の消費者団体、羊齧協会創業者にして主席(代表)。
羊肉料理を素人がおいしく楽しく食べられる環境作りを行うべく、多種多様な羊肉普及のためのイベントを行う。
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