[これまでの記事]
・羊と羊肉の歴史1・日本渡来編その1、その2
・羊と羊肉の歴史2・明治維新・戦争と羊その1、その2 緬羊100万頭計画始動!
最近はずっと羊毛と戦争の話ばかりでしたが、お待たせしました。この回より肉の話が出てきます。そして、一気に平成まで駆け抜けます。しかし、改めてまとめていると輸入自由化や関税交渉などで翻弄される日本の羊たちがいます。
国際情勢上で飼わざるおえなくなり始まった日本での羊の飼育ですが、平成になっても羊は政治や国際情勢に思い切り左右されるのですが、この伝統は今でも続いています。その話はもうすこし先で。まずは、前回の続き緬羊百万頭計画のその後を見て行きましょう。緬羊百万頭計画ポイントなので是非覚えてください。いつか役に立つかも。
▲緬羊百万頭計画を伝える当時の新聞。助成金がやはり大きく取り上げています。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 羊毛(3-110)より。
■最初は副次的な物だった羊肉
大正期の日本は今から想像もつかないほど貧しく、特にたんぱく質の不足は深刻でした。
羊毛メインで進んでいた日本の羊政策ですが、このような状況もあり、肉も活用しようという動きが出て来るのは当然の流れと言えます。特に軍や政府が主導して、羊肉の講習会を行ったり、ジンギスカンが名物のお店が出来たり・・・・と動きはありましたが、あくまで「珍味」的な扱いで羊は食べられていました。
ちなみに、羊料理=ジンギスカンのイメージが日本では強いですが、ジンギスカンは発祥の地が諸説あり、昭和11年に札幌にジンギスカン専門店の「横綱」で始まった説、昭和10年に松井初太郎という人が東京で開店した「成吉思荘」説など色々あります。
また、羊肉を食べる習慣は種羊場(羊研究機関)の周りから始まったといわれているので、岩手、長野などもふくめ、同時多発的に羊を食べる文化は広がったと思われます。いまだに、羊を食べる都道府県は種羊場があった場所が多いイメージ。このあたり言い出すとキリがないし、個人的に発祥云々はあまり興味がないし、あまり本筋と関係ないので興味ある方は検索してみてください。また、参考サイトや文献面白いので読んでみる事もお勧めしますよ。
▲岩手県小岩井牧場。いまだに数百頭の羊を飼育
軍備から始まった羊が戦後の日本を支える。過去最大の飼育数を記録
もともと軍備のための「緬羊百万頭計画」はうまくいかなかったものの、戦後の食料難と衣類不足により羊の国内飼育熱が高まり、状況は一変します。毛肉兼用種であるコリデール種を中心に頭数を増やし続け、1957年(昭和32年)に農林水産省調べで94万頭、実数では100万頭を超える数まで増えたといわれています。
地域ごとの内訳は、北海道25万7千頭、東北29万4千頭、関東19万頭、北陸3万5千頭、 東海1万6千頭、 近畿1万5千頭、中四国8万頭、九州沖縄5万4千頭。飼養戸数が64万件との記録がありますから1戸あたり1.4頭となり、大規模飼育というよりは、日本全国いたるところで小さく飼育を行っていたのがわかります。主に、農家で飼われていた羊は毛を衣類に(羊毛を持っていくと毛糸と交換してくれる工場などがあったそうです。)、肉は食用とされていたようです。大正7年に始まった「緬羊百万頭計画」は戦後の日本を支えるという意外な形で達成されました。
戦争と国家間のパワーゲームに利用された羊が地に足がつき、多くの家庭に普及したのが戦後というのが皮肉なところです。しかも、大牧場で多くの頭数が飼育される形ではなく、各農家で自家用に飼われることによるいかにも日本的な形での達成でした。
■輸入自由化と化学繊維の登場、激減する羊飼育頭数
100万頭達成の喜びもつかの間(誰も喜んではなかったかもですが)その後日本の羊の飼育頭数は急転直下減少します。100万頭を突破した2年後の1959年(昭和34年)に羊肉の輸入が自由化! 昭和37年には羊毛も輸入自由化となり、日本の羊飼育に大打撃を与えます。また、化学繊維などの発展などもあり日本での羊飼育は一気に減速しました。飼っていても金にならない羊を飼う理由がなくなったからです。
昭和30年代後半は国民の肉の消費量の高まりとともに、羊は加工肉用にどんどん屠畜されていきました。別にみんな羊好きになったわけではなく、加工用でソーセージやハムなどに何の肉かわからない形で混ぜられて消費されました。
▲羊肉や馬肉が入ってるソーセージ昔は結構ありました。今はあまり見ないですが。※写真はイメージ
このあたりで「羊=羊毛」から「羊=食肉」と傾向が変わってきたのではと考えています。世界的な流れも、化学繊維などの発展で羊毛需要はどんどん減っていき、羊毛から肉へとシフトが始まっています。「儲からない家畜」となってしまった羊の飼育数はどんどん減り、昭和51年には全国で1万190頭まで激減してしまっています。
この急激な減少は輸入自由化や科学繊維の普及だけが理由ではなく、構造的な物も原因となっています。
・緬羊の飼育形態が小規模で産業適基盤が確立されておらず競争力がなかった。
・高度成長期に入り、農村部の人口減少で副業的に行っていた飼育に人手が割けなくなった。
・ビジネス化されておらず大きな牧場などもなく、ロビー活動などができなかった。
・肉や毛以外の羊全体を活用する技術基盤がなかった。
輸入自由化が原因!というよりは、ビジネスとして成立していなかった事がすべての原因ではなかろうかと思われます。儲かる業種でしたら、しっかりと今でも羊の飼育がビジネスとして残っているはずです。
その後、これらの流れを受けて日本での緬羊飼育は完全に「食肉」への流れに変わりました。畜種もサフォーク種が中心に変わりある程度増加に転じるも平成末で1万8千頭前後の頭数となっています。その後も大きな増減はなく1万8千頭前後で推移しています。この増減は令和に入ってもそこまで変わっておりません。
■平成末以降にうまれた、新しい羊需要
最近の新しい流れとして注目すべきは、羊の飼育が地域振興や中山間部の新しい畜種として注目されはじめていることです。もともと牛など他の畜種を飼っていたけれど老齢化や過疎化で手が回らなくなり、設備と牧畜の経験はあるので比較的取り回しの楽な(羊は大体40kgぐらい)羊を飼うパターンが出てきました。見た目が愛らしく肉も国産は希少なので観光コンテンツになるのでは?と飼育に力を入れる市町村が増えてきています。
羊は、肉だけではなく破棄されている毛や皮そして見た目など、羊のすべてを商品やコンテンツにしようとする動きへと変わってきています。新たに羊を飼い始めようとする方たちも多く、国策からはじまった羊の飼育でしたが、いまでは地域や個人の想いからの飼育へと大きく変化してきています。また、頭数が多い牧場も(日本としては)増えてきており、国や政治の意図から離れた羊はやっと自分たちの意思での飼育の時代に入ったと言えます。まさに、ここからが日本の羊の新時代、幕開けなのではないでしょうか?
■次回は・・・・
ちょっと脱線し、みんな大好きジンギスカンを深堀してみます!
■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表
提供:東洋肉店(URL:http://www.29notoyo.co.jp/)
※参考資料など
国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP、また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン:捏造と熱望の日本食」、ジンギスカン応援隊、綿羊会館が以前に出し担当者さんからいただいた資料、Wikipediaの羊の項目、探検コムさん、近代食文化研究会さんなどを参考にしています。その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。
また、東洋肉店さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どこかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人が素人向けにまとめさせてもらいました。いろいろなお店の方との羊の雑談などもベースになっております。皆様ありがとうございました!
この記事を書いた人
ラムバサダー 菊池 一弘
羊肉の消費者団体、羊齧協会創業者にして主席(代表)。
羊肉料理を素人がおいしく楽しく食べられる環境作りを行うべく、多種多様な羊肉普及のためのイベントを行う。
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